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「一般軍曹候補生採用試験」問題の解き方など

 先日ふと、「自衛官の採用試験の問題って、どんなものなのだろうか」と興味をもち、過去の「一般軍曹候補生採用試験」の問題を確認してみました。

 この「試験問題を確認する」と行為は楽しいのですが、しかし、確認して終わりではもったいない。

 というわけで、このページにて、各教科の各問の解き方についてなどを解説していくことにします。

 受験を考えている方は、ぜひ参考にしてください。

 

——目次——
・試験概要、教材について
・国語(択一式)
 ◆問1:現代文
  ◇内容合致系
  ◇要旨系
  ◆問2:古文
  ◆問3~問15
・数学(択一式)
・以下、作成中

 


 一次の筆記試験は大きく分けると、
・英語(英語Ⅰ)、国語(国語総合)、数学(数学Ⅰ)の3科目の択一試験(試験時間120分、各科目15問ずつの計45問)
・作文(700字程度、試験時間30分)
・適性検査
 の3つ。

 応募資格が「18歳以上27歳未満」となっていることから、試験問題は高校生から解けるものになっています。(択一試験の指定範囲も普通科高校で1年次に習う範囲)

 公務員の採用試験問題としては簡単な部類に入るでしょう。

 

 しかし、実際に過去の試験問題を確認してみた印象では、何の対策もなしでは、大学生でも8割も取れない人がほとんどで、高校生だと6割も取れない人が多いと思われます。

 一般軍曹候補生採用試験は倍率も高いですし、特に空自では10倍を超えることも多いようなので、合格したければ対策は必須でしょうね。(倍率については、コチラのサイトなどを参照)

 

 ただ、何か特別な教材を用意する必要まではありません。

 過去問集を解いていく中で必要な知識を実に付け、問題の形式にも慣れていけば十分なはずです。(単に過去問を解くのではなく、過去問で知識を身に付ける)

 実際の試験で出題されないことをやっても時間の無駄です。
 問題の形式や難易度などを把握するためにも、余計な教材に手をつけず、すぐに過去問に取りかかってください。

 そして、過去問の解説と、本ページの「解き方」の説明などを参考にして、どんどん進めていきましょう。

  過去問10回分ほどこなせば、必要な知識は身に付き、問題の形式にも慣れるはずです。
 もし、それでも足りない分野があれば、過去問を終えた後にそこだけ、他の教材で補いましょう。


 まずは、3科目の択一試験から。

 

・国語

◆問1:現代文

 ほとんどが”内容合致系”で、「文章の内容に合致するものはどれか」「筆者の考えに合致するものはどれか」を五択で選ばせる問題。
 稀に「文章の要旨として、適切なものはどれか」という”要旨系”も出題されます。

 ”内容合致系”も”要旨系”も、試験問題としては定番中の定番ですね。

 しかし、その「解き方」を意識したことのある人は少ないのではないでしょうか。

 私が指導する生徒でも、「解き方」を考えたこともない生徒が多く、「明らかに間違った方法」を採っているケースがほとんどのように思います。

 

 ちなみに、「問題文を一通り読んで、選択肢を見て問題を解く」のは、「明らかに間違った方法」の典型例

 

 考えてみてください。

 国語の問題にしろ、英語の問題にしろ、問題の本文を読む”目的”は何ですか?

 その文を読んで、「何らかの知識や視点を得るため」”ではない”はずです。
 「問題を解くため」に読むに決まっていますよね。

 

 「何らかの知識や視点を得るため」に読むのは、普段の読書などでやることです。試験の際にやることではありません。

 そして、試験の対策の時点でそれを理解して、正しい問題の解き方を身に付けようとしなければ、必然的に試験本番でも「読書」をすることになるのです。

 

 限られた時間でなるべく多くの点数を取らなければならない試験で、悠長に読書をし、そのくせロクに本文を理解できず、「何となく」選択肢を選ぶようでは、はっきり言って「頭がお花畑」でしかありません。

 きちんと「問題の解き方」を身に付けましょう。

 

 というわけで、「問1 現代文」の解き方の説明に入りますが、以上の内容からも分かるように、まず必要なのは、「本文は読書するもの」という認識を捨て、「本文は答えを探すためのもの」という認識を新たに持つことです。

 本文を最初から最後まで読む必要などありませんし、本文の内容全てを理解する必要もありません。本文を読んであなたがどう思うかなど、まったくもってどうでもいいことです。

 必要なのは、「どの選択肢が正解なのか」という判断だけ。本文からは、その判断の材料だけ手に入れればいいですし、逆に、それができなければ本文を読む意味はありません。(極端な話をすれば、正しい選択肢を選べれば、一切本文を読まなくても構わないのです)

 

 そのため、問1の現代文を解く際に最初に行うべきことは、「選択肢の内容の把握」になります。

 5つの選択肢の中から1つの正解を選ぶというのが目的なのですから、選択肢の内容を把握するのが最優先に決まっていますよね。

 それに、5つの選択肢の中に正解は1つしかないわけですが、全ての内容が本文に反している選択肢というのは、ほぼありません。
 正解ではない選択肢でも、(問題を作る側の事情で)前半部分は正しくなっていることが多い。そのため、選択肢を読んだ時点で、本文の内容はほぼ予想できるのです。

 選択肢を有効活用するためにも、やはり本文を読む前に、選択肢の内容把握をすべきでしょう。

 

 「選択肢の内容の把握」が済んだら、本文に移るわけですが、目的はあくまで「答え探し」です。

 本文を十分に理解できなくても、答えさえ分ければ何の問題もありません。 必要なのは、「どの選択肢が正解なのか」という判断だけ、ということを決して忘れないでください。

 

 さて、その答え探しの具体的な方法については、”内容合致系”と”要旨系”を分け、過去の問題を使って説明してきます。
 どちらもメジャーな問題形式ではありますが、解く際に必要なことが若干違いますからね。


 まずは”内容合致系”。

 内容合致系は非常に簡単です。

 なぜなら、5つの選択肢のうち、本文に書かれていることは1つしかないわけですから。4つの選択肢の内容は、本文に書かれていないのです。

 そして、「本文に書かれていない」選択肢のパターンとして一番多いのは、「選択肢の前半の内容は本文に書かれているが、後半の内容は書かれていない」というもの。

 他のパターンとしては、「選択肢の内容が一切書かれていない」ものがありますが、こちらはあまり多くありませんし、「本文は答えを探すためのもの」という認識を持って問題に臨めば、正解ではないと判断できるはずです。
(そういった意識を持っていないと、「自分がどう思うか」で選択肢を選ぶという愚行を犯すことになる)

 

 実際に過去の問題で確認してみましょう。

 まずは手元にある最新の試験問題である、平成28年9月の試験問題。

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 この問題には、「選択肢の前半の内容は本文に書かれているが、後半の内容は書かれていない」パターンと、「選択肢の内容が一切書かれていない」パターン、両方の選択肢が存在してます。
 
 選択肢(1)は、「選択肢の前半の内容は本文に書かれているが、後半の内容は書かれていない」パターン。

(1) 本来むずかしい問題を、やさしいこととして扱って日常生活を営むのは、何かをごまかしている生き方である。

 「本来むずかしい問題を、やさしいこととして扱って日常生活を営むのは、」までは、本文の2段落目に書かれている「本来むずかしい問題を、やさしい問題であるかのように扱うということは、」と一致しますね。

 しかし、選択肢は「何かをごまかしている生き方である。」と続いているのに対し、本文は「一見、何かをごまかしているようだが、」と続いています。

「だが」のあとには、「だが」の前の内容を否定する文章が続くと容易に想像できますよね?

 よって、選択肢の後半が本文と違うパターンだと判断できます。当然×です。

 

 選択肢(2)は、「選択肢の内容が一切書かれていない」パターン。

(2) むずかしい問題をむずかしい問題としてしか扱えない人は、生活の現場において融通の利かない、社会性のない人間である。

 一応は本文の2段落目に、「むずかしい問題をむずかしい問題としてしか扱えなかったら、」とありますが、その後に続くのは、「一つ一つの言葉の意味に悩んでしまって一歩も先に進めなくなるかもしれない。」という文。

 「生活の現場において融通の利かない、社会性のない人間である」というのは、本文中のどこにも登場しません。

 なお、あなたが「その通りだ」と思うことと、「本文にそれが書かかれている」ことの間には、全く関係性はないですからね。感想や感情を排除して、問題を”解いて”ください。

 

 選択肢(4)は、「選択肢の前半の内容は本文に書かれているが、後半の内容は書かれていない」パターン。

人間の「ふり」をする能力は、意図的に相手をだますような場合に用いるもので、人間性の核心にある。

 本文の4段落目に、「『ふり』というと、たとえば、『知っているのに知らないふりをする』と表現するように、意図的に相手をだますような場合だけを指すという印象があるかもしれない。」とありますが、「しかし、」という言葉で文が続きます。

 つまり、選択肢の「人間の『ふり』をする能力は、意図的に相手をだますような場合」というのは、本文で否定される内容なわけです。それだけで、この選択肢は×だと判断できます。

 また、「人間性の核心」などということは、本文のどこにも書かれていません。

 

 選択肢(5)は、「選択肢の内容が一切書かれていない」パターン。

人間が人間らしくあるためには、言葉の意味や〈私〉という存在の不思議さについて、思い悩むことが必要である。

 本文のどこにも、「人間が人間らしくあるためには」ということも、「思い悩むことが必要である」ということも書かれていません。

 書かれていないことは、”内容合致系”の問題で正解になることはあり得ません。当然×です。

 

 よって、選択肢(3)が正解。

人間の認知プロセスは、同じ問題を「やさしく」扱うこともできるが、「むずかしく」探求することもできる両面性をもつ。

 本文の1段落目の内容がそのまま、この選択肢の内容にあたります。

 「両面性」という言葉は本文中に出てきませんが、本文中にも「本来むずかしい問題をやさしいこととして扱って日常生活を営むことができる一方、必要に応じて、立ち止まり、むずかしい問題として扱うこともできる」とありますよね? それがまさに、「両面性」ということです。 

 

 次は、平成25年9月の試験問題。

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 この問題は、5つの選択肢の内、3つが典型的な「選択肢の前半の内容は本文に書かれているが、後半の内容は書かれていない」パターンとなっているので、解き方を理解するのに良い問題となるはずです。

 「選択肢の前半の内容は本文に書かれているが、後半の内容は書かれていない」のパターンの選択肢だけとり上げてみましょう。

 

(2) 数学の世界における論理的な信憑性は、各論理段階の正しさの積で表しているが、実際には加減乗除様々な要素で計算されるべきである。

 前半の内容は、本文2段落目の「AからZまでの論理系としての信憑性は、各ステップでの確率を全部かけ合わせたものにより計られる」という文章と一致します。

 しかし、後半の「実際には加減乗除様々な要素で計算されるべきである」という内容は、本文中のどこにも書かれていません。書かれていないことは正解になり得ません。

 

(3) 現実の世界で人を殺すという行為を絶対的に正当化できる根拠はないのであるから、死刑制度を存続させておくのは望ましいとはいえない。

 前半の内容は、本文5段落目の「一般の世界の論理には、1と0は存在しません。絶対的に正しいことは存在しないし、絶対的な間違いも存在しない」という文章、6段落目の「『人を殺してはいけない』というのも、完全に真っ白ではありません」という文章と一致します。

 しかし、本文では死刑制度について「そもそも死刑という制度があって、合法的殺人が認められている」としか述べられておらず、選択肢後半の内容は本文中には存在しません。

 

(4) 戦争において多くの敵を殺した人を英雄として絶対的に正当化できるのは、一般の世の中の論理の前提に『自国の』という出発点が存在するからである。

 本文中では「戦争になれば、敵をなるべくいっぱい殺した者が、世界中どこでも英雄として称えられます」とは書かれていますが、それ以上のことは書かれていません。

 よって、選択肢の後半「一般の世の中の論理の前提に『自国の』という出発点が存在するからである」が本文の内容と合致するはずはありませんね。

 なお、本文5段落目で「一般の世界の論理には、1と0は存在しません。絶対的に正しいことは存在しないし、絶対的な間違いも存在しない」述べられているので、「絶対的に正当化できる」というのも、本文に反します。

 

 さて、”内容合致系”についての説明はこれくらいにしておきますが、解き方を理解できたでしょうか?

 重要なことは、

●書かれていないことは正解になり得ない

●正解ではない選択肢も、前半の内容は合っている場合が多いので、その内容を”手掛かり”にして、選択肢の内容が「書かれている場所を探す」とよい

 ということですね。

 細かいテクニックなどは色々ありますが、以上の2点をきちんと押さえて、過去問を解いてみれば十分なはずです。


 さて、次は”要旨系”です。

 一般曹候補生の採用試験に限らず、”要旨系”は”内容合致系”よりも難しくなります。

 というのも、”要旨系”の問題での正解か否かの基準は、「本文の要旨として相応しいか否か」となるため、「本文に書かれているか否か」だけでは正解の選択肢を選べないのです。
 (言うまでもないかと思いますが、本文にまったく書かれていないことは、要旨になりません)

 実際、”要旨系”の問題では、「本文に書かれてはいるが、要旨ではないので不正解」という選択肢が多く見られます。

 よって、”要旨系”の問題では、

●「本文に書かれている内容」+「本文の要旨である」

 ということが必要になるので、よく覚えておいてください。
 

 …ちなみに、「要旨」という言葉の意味は分かっていますか?

 国語辞典的な意味では、「主な内容。述べようとする内容の主要な点を短くまとめたもの。 」(『大辞林』)となりますが、文章問題で用いられる場合にはほぼ、「筆者の主張」という意味になります。

 そのため、「主張」と言える内容ではない選択肢は、まず間違いなく×です。

 この点を含め、過去問で実際に確認してみましょう。

 

 平成26年9月試験。

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(1) 現代人が価値基準としている「進歩」というものから脱却すべきである。

 「選択肢の内容が一切書かれていない」パターン。

 一応2段落目に「たとえば進歩が絶対的な善だと考えられていた時代には、」とありますが、現代人が「進歩」を価値基準としているということは一切書かれていませんし、当然、それから脱却すべきだということも書かれていません。

 また、「例え」はあくまで例えであり、「主張」にはなりません。

 例えば、「やっぱり米料理って美味しいよね。例えば、チャーハンやピラフが美味しいのは当然だけど、何の具もない塩おにぎりでも、何個でも食べられるくらい美味しいんだよ。」と言う人がいた場合、その人の主張とは何ですか?

 当然、「米料理は美味しい」ということですよね。チャーハンやピラフ、おにぎりが美味しいということではありません。

 これが、「例え」はあくまで例えであり、「主張」にはならないということです。
 (ちなみに、米料理云々はあくまで例であり、「例え」はあくまで例えであり、「主張」にはならないということが、ここでの「主張」になります。)

 

(2) 時代が求めている精神は、「進歩」から「永続性」へと移行する傾向にある。

 「選択肢の内容が一切書かれていない」パターンに近い選択肢。

 4段落目に、「例えばかつての社会では、進歩よりは永続性のほうが、はるかに尊ばれていた時代もあった。」とありますが、それだけで、それはあくまで過去の話であり、今もそうであるという話ではないと分かります。

 また、「例え」はあくまで例えであり、「主張」にはならないということでも、不正解と判断できますね。

 

(4) 社会は、その時代に特有な意味の体系をつくりだしている。

 さぁ、この選択肢が「正解にはならない」と判断できるか否かが、”要旨系”の問題で正答できるどうかの”最初の”分かれ道になります。

 この選択肢の内容自体は、2段落目の「社会は、その時代に特有な意味の体系をつくりだしている。」という文章そのままです。

 よって、この問題が”内容合致系”であれば、これが正答となります。

 しかし、これは”要旨系”の問題。
 本文に書かれているだけでは、正答にはなりません。

 もう1度、選択肢を読み返してほしいのですが、「社会は、その時代に特有な意味の体系をつくりだしている」という文章は、「主張」と言えるでしょうか?

 「事実の指摘」にとどまっていませんか?

 

 この辺りは説明の難しいところではありますが、「…で、それが何なの?」という反応しか引き起こさないものは、基本的には「主張」ではありません。

 「社会は、その時代に特有な意味の体系をつくりだしている」と言われても、筆者が何を主張したいのかは、まったく分かりませんよね。

 そういった選択肢は、”要旨系”の問題では×となります。

 

(5) 単一の文明だけで生活する人間は、新しい文明を創造する精神を失くしてしまう。

 さて、この選択肢は、先ほどの選択肢よりもやっかいです。

 選択肢の内容自体は、1段落目の「ひとつの文明の内部で暮らしている人間は、その文明が日常的であり、当たり前であるために、その文明に疑問をいだかず、新しい文明を創造する精神を失う」という文章などと一致します。

 あとは、これが筆者の「主張」であるかどうか。

 「単一の文明だけで生活する人間は、新しい文明を創造する精神を失くしてしまう。」と言われれば、<だから、複数の文明の中で生活しよう>と言いたいのかな? まぁ、確かに価値のあることかもしれないな。と、思うかもしれません。

 

 しかし、1段落目の「ひとつの文明の内部で暮らしている人間は、その文明が日常的であり、当たり前であるために、その文明に疑問をいだかず、新しい文明を創造する精神を失う」という文章の前を見ると、「かつて、ドイツの社会学者マックス・ウェーバーは『古代ユダヤ教』のなかで、」とあります。

 つまりこれは、筆者が自分の主張に信憑性などを持たせるために使った「引用」でしかないわけです。

 「例え」はあくまで例えであり、「主張」にはならないということ構造は同じです。

 「引用」はあくまで「引用」であり、「主張」にはなりません。
 「引用」は、「主張」のために使われる「道具」でしかないのです。

 

 また、文章における「主張」というのは通常、文の初めと終わりに書かれるものです。

 しかし、試験の問題では、一冊の本の内の、ほんの一カ所が切り取られて使用されるため、必ずしも本文の初めに「主張」が書かれているとは限りません。

 ただし、本文の終わりは、「切ってもおかしくない箇所」にせざるを得ないため、最後に主張が出てきていないということは、あまり起きません。
 (主張部分の前で文章を切ると、ひとかたまりの文章としておかしくなる)

 若干分かりにくい話かと思いますが、”要旨系”の問題を解く際には、先頭よりも文末に「主張」がある可能性が高いということは、覚えておいてください。


古文

 問2の古文も、問1の現代文同様、”内容合致系”がメイン。

 解く際の基本的なポイントも同じです。

 古典の文には抵抗のある人が多いでしょうが、本文は正解の選択肢を選ぶための道具にすぎないので、本文の内容を全て理解できなくても問題ありません。

  また、中学レベルの古文に関する知識があれば、正解の選択肢を選ぶことは難しくはない問題がほとんどです。

 文量も多くないので、最初から捨て問にはせず、「答え探し」の仕方を理解して、本番で得点できるようにしましょう。

 

 さて、繰り返しになりますが、選択肢を確認してから本文を「答え探し」のために読み、自分の考えなどは排除して、本文中に書かれていない内容が含まれる選択肢は切っていくという基本的な手順は、現代文と変わりません。

 しかし、載せられている文は古文で、現代文とは勝手が違いますよね。

 そのため、古文を(問題を解くために)読む際には、いくつか意識しなければならないことがあります。

 その1つが、「主語を意識して読む」こと。

 古文は現代の文以上に主語が省略されることが多く、且つ主語を意識して読まないと、誰が何をしているのか分からなくなるような文が多いです。
 そして、それを利用して不正解の選択肢が作られることが非常に多い。

 主語を意識して読むくせを着けないと、不正解の選択肢を”選ばされる”ことになるので、よく注意してください。

 過去の問題で確認してみましょう。

 

 まずは、平成28年9月の試験問題。

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(1) 良覚僧正という人は、とても病弱でお腹をこわしてばかりいたので、薬にと榎の木を切った。

 単純に、選択肢の内容が書かれていないパターン。

 本文1段落目の「腹悪しき人」というのは、お腹が弱いという意味ではないですし、例えそれが分からなくても、「薬」の話は一切本文に出てきません。
 本文にない内容が含まれる選択肢は、絶対に正解になりません。

 

(3) 良覚僧正の家の近くに、「切りくいの僧正」と呼ばれている人がいた。

 この選択肢は、後半は正しいのですが、前半が間違い。

 「主語を意識して読む」に含まれることですが、古文を読む際には、「登場する人物は誰と誰か」を意識しましょう。

 この本文中には、「良覚僧正」と、「人」しか登場しません。
 「公世の二位」は、「良覚僧正」が何者かを説明するために名前が使われているだけですし、「良覚僧正」以外に僧正は登場していません。

 ”勝手な想像”で選択肢を選ばないように注意してくださいね。

 

(4) 公世は良覚僧正と呼ばれていたが、後に「堀池の僧正」と呼ばれるようになった。

 (3)の選択肢で述べた通り、公世は、良覚僧正が何者を説明するために名前が使われているだけです。

 なお、「公世の二位のせうと」の「せうと」は、兄弟のことですが、「せうと」が分からなくても、「”の”せうと」とあるので、「公世の二位」本人の話ではないと理解できるはずです。
 主語や登場人物に注目して読むようにしましょう。

 

(5) 良覚は「榎の木の僧正」という呼び名が気に入っていたので、榎の木が切られて怒った。

 主語を意識して読めば不正解だと分かり、意識しないと”選ばされる”選択肢。

 2段落目の文を確認してみましょう。

 まず、「人、『榎の木の僧正』とぞ言ひける。」とあるので、「榎の木の僧正」と言っていたのは「人」(人々)です。(呼ばれていたのは良覚)

 次の、「『この名しかるべからず。』とて、かの木を切られにけり。」という文。

 選択肢(3),(4)で既に述べたように、この本文で登場する人物は「良覚」と「人」だけですが、どちらの話なのか分かりますか?

 「人」が「良覚」を榎の木の僧正と呼んでいる以上、「この名しかるべからず。」(榎の木の僧正という名前=呼ばれ方はよくない)と思うのは「良覚」しかおらず、木を切ったのも「良覚」です。

 よって、この選択肢は、前半も後半も本文の内容に反するわけです。

 

 一応、その後の本文も確認してみましょう。

 「その根のありければ、『切りくひの僧正』と言いけり。」
 木を切って残った根を見て「切りくひの僧正」と言うのは、人々の側ですよね。

 良覚が、「榎の木の僧正」は嫌だが「切りくひの僧正」なら良い、とするとは考えにくいでしょう。

 「いよいよ腹立ちて、切りくりを掘り捨てたりければ、」
 やはり、良覚は「切りくひの僧正」と呼ばれることも嫌がり、木を切って残った部分も掘り起こして捨てたわけです。

 「その跡大きなる堀にてありければ、『堀池の僧正』とぞ言いける」
 掘り起こした跡に水が溜まった様を見て、人々は良覚を「堀池の僧正」と呼ぶようになったとさ、というオチです。

 

 次は、平成25年9月の試験問題。

 古文に慣れていない人には、少し読み辛い文かもしれませんが、正解を選ぶことは難しくありません。

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(1) 地蔵菩薩を作ったのは、四宮河原に住んでいる高僧である。

 「高僧」という言葉すら登場しませんから、×です。
 勝手な想像で選択肢を選ばないようにしましょう。

 一応、本文を確認してみましょう。

 「これも今は昔山科の道づらに四の宮河原といおふ所にて袖くらべいふ商人集まる所あり。その辺に下衆のありける。地蔵菩薩を一体作り奉りたりける」

 地蔵菩薩を作るまでに登場しているのは「下衆」だけ。
 よって、地蔵菩薩を作ったのは、その「下衆」です。

 

(3) 夢に出てきたものは、下衆に対して、地蔵を奥の部屋においたままにしたことを叱りつけた。

 叱りつけたような様子は書かれていませんし、そもそも、下衆に対しては、「地蔵こそ」としか言っていません。

 本文を確認してみましょう。

 「ある夜夢に大路を過ぐる者の声高に人呼ぶ声のしにければ、『何事ぞ』と聞けば『地蔵こそ』と高くこの家の前にて云ふなれば奥の方より『何事ぞ』と答ふる声すなり。『明日、天帝釈の地蔵会し給ふには参らせ給はぬか』と云へばこの小家の内より、『参らんと思へどまだ目も開かねばえ参るまじく』と云へば『かまへて参り給へ』と云へば『目も見えねばいかでか参らん』と云ふ声すなり。

 下衆が「何事ぞ」と聞いたら、夢に出てきたものは「地蔵こそ」(地蔵と話がしたいということ)と答えたわけですね。
 そして、奥の方から「何事ぞ」という声がして、その後は夢にできたものと地蔵で会話がなされています。

 どこにも、叱りつけたといった内容はありません。

 

(4) 地蔵は、翌日行われる予定の帝釈天の地蔵会を忘れていた。

 「参らんと思へどまだ目も開かねばえ参るまじく」と地蔵が言っているので、忘れていたわけではない。

 行きたいとは思うが、目が開いていない(彫られていない)から行けないんだよ、という内容です。

 なお、忘れるという言葉は、下衆が「開眼もせで櫃に打ち入れて奥の部屋など思ぼしき所に納め置きて世の営みにまぎれて程経にければ忘れにけるほどに三四年ばかり過ぎにけり。」という箇所でしか出てきません。
 本文に書かれていないことは正解になりませんよ。

 

(5) 下衆は、朝起きてから急いで地蔵の開眼供養を、高僧に頼んで行ってもらった。

 (1)のところで述べたように、「高僧」自体登場しません。
 よって、×。


◆問3~問15

 問3~15は、漢字、熟語、諺(ことわざ)、文法がメインで、問13が日本文学史。

 いずれも、ほとんどが中学国語レベルの内容です。

 ここの12問で点が取れないようだと合格は厳しいでしょうから、せめて10点は取れるようにしましょう。

 

 といっても、過去問10回分くらいを、学校で使っているような教材で確認しながらこなしていけば十分なはず。

 (大学生以上で手元に国語の教材がない場合は、とりあえず過去問にあたってみて、教材が不要そうであればそのまま過去問を進めてください。もし教材が必要そうであれば、中学生向けの教材を購入して使いましょう。)

 

 なお、忘れてしまったら、やっていないのと同じなので、「記憶を維持すること」が何よりも重要です。

 早めに一通り確認を済ませ、あとは「速く、何度も」知識の確認を行うようにしてください。
 (暗記法については、「暗記のコツ」のページを参照)


・数学

 数学については、ここで「解き方」の説明をする必要はないでしょう。

 私が説明するまでもなく、過去問の解説でも解き方は説明されていますし、それでよく分からなければ、数Ⅰの参考書を確認すればいいですからね。

 そのため、ここでは、過去問の進め方についてだけ説明しておきます。

 

 これは数学に限らないですし、この試験にも限らないのですが、過去問を使って学習を進める場合には、「1回分の試験問題をやって、次の回の試験問題をやって…」というように行うのではなく、問題の種類・タイプごとに過去の試験問題を跨いで(またいで)行うと、効率良く学習を進められます。

 例えば国語の場合であれば、問1は毎回現代文ですから、「平成○年の問1をやったら、次は平成○年の問1をやって…」というように、学習を進めていくわけですね。

 このようにして、同じ種類・タイプの問題をまとめてこなしていくと、どのような知識が必要なのか、どのような解き方をすればいいのか、といったことが分かりやすく、且つそれが身に付きやすくなります。

 

 一方、1回分の試験問題を全て終えてから、次の回の試験問題をやるという方法だと、次の回の試験問題をやる頃には、同じ種類・タイプの問題をやった際に得た知識などが薄くなっているため、同じ知識で解ける問題であっても、繰り返し必要な知識の確認をする羽目になりがちです。

 また、そのような状況では、「このタイプの問題は、こういった点に注意して、こう解けばいい」といった「解き方」についての気付きなどは、まず生まれません。

 

 特に数学については、以上のような性格が強く現れる科目です。

 最新の過去問で、問1の解き方を理解したら、過去の試験の似た問題を解いていく。
 それが済んだら、最新の過去問で、問2の解き方を理解し、過去の試験の似た問題を解いていく…

 そして、最新の過去問の問題と、過去の似た問題を一通りこなしたら、別の回の過去問にまだ残っている問題の解き方を理解し、他の回の似た問題を解いていく…

 というように、学習を進めていきましょう。


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